平成19年8月25日 公開
平成23年1月3日 更新


● 「土井ヶ浜遺跡」の発見・発掘史≠ノおけるなぜ?


◆ みなさんは、不思議・奇妙≠セと思われませんでしたか?

「昭和6年」「土井ヶ浜出土」の「人骨」を、なぜ=A「考古学者」である小川五郎氏が、病理学教室」三宅宗悦氏に「連絡」され、三宅氏が、「鑑定」されているのか?
さらには、
「京都帝国大学」の先生によって、「古墳人骨」と「鑑定」されているのに、なぜ、衛藤和行氏は、「昭和28年」に「出土」したという「人骨」を、改めて「九州大学」解剖学教室」に「連絡」されたのか?
・なぜ、「連絡」を受けた「九州大学」金関丈夫氏はすぐに「発掘」されたのか?
のみならず、
情報≠ノよって衛藤氏の金関氏に届けたとされるモノがマチマチだが、いったい、何が本当≠ネのか

その他、私が調べる前には私に取っては不思議・奇妙≠ニ思われることが少なからずありました。

「昭和6年」の「人骨」の「出土」の際に「関係」した父=河野英男は、既に亡くなっていましたが、父と親しく、そのため、私も親しくさせていただいていた衛藤氏をはじめ、父が、「金関発掘調査」の際には、「山口県教委社会教育課」の「担当者」という「立場」で、いささか≠フかかわりをもっていたこともさいわい≠オて、
「お前ごときが話を聞けるワケはないではないか」と思われるような「土井ヶ浜遺跡」に関係され、その後、超一流≠フ「学者」となられている先生方、
さらには、なんらのかかわり≠ヘないにもかかわらず、親身≠ノ「協力」をいただいた「考古学の父=vといわれる浜田耕作氏のご子息の浜田 敦氏(京都大学名誉教授・「国語学」)、
はたまた、三宅家の方々渡辺家の方々小川 信ご夫妻・・・・といった 方々の「協力」をいただいて、

「土井ヶ浜遺跡」においては、「民間人」も関係した、偶然≠ニ必然≠フ織りなした「発見・発掘史」があることがわかったのです。



[お断り] 文中、敬称はすべて「氏」に統一させていただきます。
 



1 「土井ヶ浜遺跡」は「昭和6年」に発見されていながら、「発掘調査」は、「昭和28年」までされず、思い出した≠ゥのように行われたようになっている。
金関丈夫氏らの「発掘調査」によってこそ、「弥生人骨」が大量に発見され、日本人起源の「渡来・混血」説の根拠となった遺跡であるのに、それでいいのか?
(但し、最近はこの点だけは、是正されています。「人類学ミュージアム」開館に伴う、情報≠ェ理由でしょう。そして、また、私の『山口県地方史研究』への発表も、多少は影響しているようです。 ただ、私が調べだした当時の状況≠ヘ、こうだったのです。)
 
2 昭和六年(昭和五年?)に石を動かし、人骨を最初に発見した人物は「某氏」として、 名前が伏せられているのに、連絡したという「河野英男」の名は、多くの「文献」に名 が載せられている。
 「河野」の果たした役割は何か。 
 
3 なぜ、発見の時期が「昭和五年夏」と「昭和六年春」と違うのか?
 
4 「考古学者」の小川五郎氏に報告した河野の行為は自然だと思うがなぜ、考古学者の、小川氏が、「病理学教室」の三宅宗悦氏にさらに紹介したのか。
 
5 いったい、三宅氏は、「北浦」に来たのか来なかったのか?

6 なぜ、駒井和愛氏は、三宅氏の論文発表前に、「土井ヶ浜」に来たのか?
 
7 なぜ、駒井和愛氏は、三宅氏に「弥生式土器」を送ったのか?
 
8 駒井氏はある意味では、「弥生の可能性」を発見していたと言えると思う。「発見・ 発掘史」上での意義はないか?
 
 出土地点は、どんなところだったのか?
 
10 なぜ「清野蒐集人骨」なのか?
 
11 なぜ三宅氏は「古墳人骨」としたのか?
 
12  @ 衛藤和行氏の金関丈夫氏に届けたとされるものが
        
人  骨
人骨と土器の破片
巻貝を加工した貝輪

のようにまちまちである。本当は何だったのか?
(ちなみに「土井ヶ浜人類学ミュージアム」のドームの中の解説は、『日本農耕文化の生成』中の「14 山口県土井浜遺跡」の記述とも違い、何を根拠にしたのか不明であるが、人骨や土器の破片が採集されたのがきっかけ≠ニしている。)

A 「人骨を届けた」という説の通りだとすれば、なぜ、人骨を改めて、九州大学 に知らせたのか?

B なぜ出土品を「考古学」関係でなく、「解剖学教室」に届けたのか?

 
13 なぜ、京都大学は動かず、九州大学は発掘に踏み切ったのか?
 
14 「金関発掘」に踏み切る一つの要素となったという『一地方誌』に載った3頁弱の報告文≠金関氏は二十年後≠ワでも覚えておられたのか?
 
15 なぜ「三宅報告文」が掲載されている「防長史学」の巻数が異なるのか?
 
16 なぜ、長い年月放置されていた≠フに、「発掘調査」が再開され、「人類学ミュージアム」ができることになったのか?


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これまで使わせていただいていた「カウント」が、なぜか、出なくなりました。
[平成23年1月26日]までの「カウント」は、18021≠ナしたが、[平成23年2月18日午前9時]から、別≠フ「カウント」を使わせていただくこととします。
従って、再び=A1≠ゥら「スタート」ということになります。





 
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